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ハリウッド映画(ほか)内側からの切り返し表。題名にはYouTubeで検索しやすいように原題を書いておきます。数字はすべておおよそです。

           
           


 

作品 監督

正面(人物が映画内でキャメラを正面から見据えたショットの数。「はっきり」とはキャメラを正面から見据えるために撮られてようなショット。「ちらちら」とは遠景からほんの一瞬ちらりとキャメラを見つめているショット。

内側からの切り返しによる分断 内側からの切り返しと外側からの切り返し
1902 アメリカ消防夫の生活
Life of an American Fireman
エドウィン・S・ポーター
Edwin S. Porter
なし なし。  
1903 大列車強盗The Great Train Robbery エドゥイン・S・ポーター 2ショット。最初と最後のバスト・ショットでキャメラを正面から見据えている。 なし。切り返し自体存在しない。  
1913 ファントマ(仏)
FANTOMAS
ルイ・フイヤード 4ショット。ちらちら。
オープニングで変装してゆくファントマ(ルネ・ナヴァール)がオーヴァー・ラップで4ショットバスト・ショットで撮られているがすべてキャメラを正面から見据えている。だが以降は殆どロングショットの1シーン1ショットで撮られていて、その中でキャメラを見ているショットは幾つもあるがサイレントの短編映画的な「ちらちら」以上のものではない。
なし。基本的に1シーン1ショットなので切り返しも存在しない。  
1914 カビリア(伊)
CABIRIA
ジョヴァンニ・パストローネ 6ショット。●宿屋の主人がキャメラに向かってしゃべるフルショット。●美女ソフォニスバが豹を撫でながらフルショットで。これ以外はすべて遠景からちらちらと見ているような、見ていないような、 サイレント映画特有のちらちら。 なし。多くが1シーン1ショットで撮られていて切り返し自体存在しない。  
  スコオ・マン
THE SQUAW MAN
セシル・B・デミル 1ショットちらちら。 2箇所。

ダービーの観客席と馬とのあいだは、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②ニューヨークのホテルでダスティン・ジェームズが窓の外を見るとニューヨークの夜のネオン街に内側から切り返される。3ショットだが、「国民の創生」(1915)の「内側からの切り返しによる分断⑤」と同じように空間的不明確性を露呈させている。①②どちらもおそらく別の場所で撮られたものを後から編集でつなげたもののように見えるが、最初は技術的問題からこのように編集されていたものが、次第にそのまま「ずれ」を維持しながら成長してゆくという可能性も考慮しなければならない。
 
1915 チート
THE CHEAT
セシル・B・デミル 10ショット。はっきりは無いがちらちらと見ている。 3箇所。

①早川雪洲が女(ファニー・ウォード)の背中に焼きごてで刻印を押したあと女とのあいだは、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②裁判の証人尋問の時、証人席と被告人席、傍聴人席、陪審員席のあいだは16ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

③さらに被告人尋問の時にも、ジャック・ディーンが被告人席に座ってから同じように13ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

評・同時期の映画の中でも極めて高い映画性を有している。特に①はすべてが「違う写真」によって連鎖した分断として際立っている。
 
  シヴィリゼーション
CIVILIZATION
トーマス・H・インス、レイモンド・B・ウエストレジナルド・バーカー。 数ショットちらちらと。サイレント短編の域を出ない。 2箇所

①伯爵ハワード・ヒックマンが
逮捕される前、群衆の前で演説する伯爵と群衆とのあいだは、7ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②反戦を訴えて王宮へと集まって来た女たちと王様ハーシェル・メイオールとのあいだは、12ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている


キリストとは伯爵・王様とがいとも簡単に同一画面に収まってしまうこの作品に分断の意志が込められていたかは微妙。
 
1916 The Good Bad-Man(善良な悪人) アラン・ドワン
Allan Dwan
6ショット。ちらちら。はっはり正面から見据えるショットはない。右→の③で仇が何度かキャメラを正面から見据えているようにも見えるがよく見ると中心から逸れている。 3箇所。

①自分の帽子をベッシー・ラヴの頭から取り返して逃げて来たダグラス・フェアバンクスが小屋の中に入って来たあとの戸口に立っているベッシー・ラヴとのあいだは、7ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。戸口に立ちどまった顔に影を落としたベッシー・ラヴの顔が既に前のショットから「ずれ」ていて、その後やや斜めに構えながら柱に寄りかかり自分の編んだ髪を弄びながらちらちらとキャメラを正面から見据えるラブのショットもまたその前後のフェアバンクスのショットから「ずれ」ていて、その後、遠く駆けてゆくフェアバンクスに窓枠に座って手を振るラブのショットはエモーションに包まれている。

②敵に捕らえられているベッシー・ラヴと彼女を見張っている男とのあいだは、11ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。すべてクローズアップで撮られたベッシー・ラヴから高速で切り返されてゆくモンタージュはその後のサスペンスを予感させている。

③終盤、酒場に入っていって父の仇サム・デ・グラースにホールド・アップされたフェアバンクスと仇とのあいだは、2人だけのショットに限ると最初のショットと最後の23ショット目に同一画面に収められているがどちらのショットもフェアバンクスが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、それ以外はすべて内側から切り返されている。
 
  THE HALF BREED
混血児
アラン・ドワン
Allan Dwan
7ショットちらちら。はっきりは、ジュエル・カーメンの出のショットで、階段をクローズアップになるまで降りて来たジュエル・カーメンが帽子で隠れていた顔を上げてキャメラを正面からしばらく見据える。 6箇所。
①山の岩肌から身を投げるチェロキーの娘と彼女の赤ん坊を抱えながらそれを見ている老人とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。
②川辺の混血児(ダグラス・フェアバンクス)と彼が石を投げつける相手の男とのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。フェアバンクスの手から石が飛んで行くショットと男の前の水しぶきが上がるショットが「分離」されている。
③遠くの三人の男たちと彼らに助けを求める混血児とのあいだは、5ショット目に『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。別々に撮られている。
④日傘の女ジュエル・カーメンとキスをしている混血児とそれを見ている男ジョージ・ベレンジャーとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。
⑤木の中に隠れた混血児と女を探している男たちとのあいだは、8ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。別々に撮られている。
⑥森の中にやって来た女ジュエル・カーメンと抱き合う混血児と、それを見ている女アルマ・ルーベンスとのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。
 
  「Vingarne
モーリッツ・スティルレル 不明。フィルムの状態から目が見えず。 4箇所。フィルムの最初と最後が欠落していて40分強が現存している。
①岩肌に立つ巨匠(エギル・アイデ)と鳥とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。
②庭にそびえ立つ彫刻とそれを窓から見る巨匠と招待客のあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。窓は撮られていない。
③絵のモデルになっている王女(リリ・ベック)とそれをカーテンを開けて盗み見しているミカエル(ラース・ハンソン)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。おそらく別々に撮られている。
④庭の彫刻とそれをベッドの上から見ている巨匠とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。窓が撮られていない。場所的に浮遊している。
■中盤から切り返しが少なくなる。
 
1917  鄙より都会へ
BUCKING BROADWAY
ジョン・フォード
John Ford
15ショット前後。ちらちらがほとんど。

●オープニングでハリー・ケリーが牧童たちをキャメラを見ながら紹介するフルショット。●ニューヨークのホテルでヴェスター・ペグから謎の女ガートルード・アスターを紹介された時、怯えるモリー・マローンがクローズアップでキャメラを正面から見据えている。
7箇所。

①ハリー・ケリーがボス(LM・ウェルズ)の家に恋人モリー・マローンを送り届けた時の2人のあいだは、最初のショットで同一画面に収められているがハリー・ケリーが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後の4ショットはすべて内側から切り返されそのまま終わっている。ウエスト・ショット同士の切り返し。

②小屋の中の牧童たちと、外で柵に座っているハリー・ケリーとモリー・マローンの2人のあいだは、牧童のリーダー、ウィリアム・スティールが男を小屋から叩き出して追い払うまで8ショット、すべて内側から切り返されそのまま終わっている。

③ケリーが娘の父親LM・ウェルズに結婚の承諾を得ようとする時の2人あいだは、10ショット目に同一画面に収められるまで内側からの切り返しによって分断されている(ちなみにここで父親と娘のイマジナリーラインは合っていない)

④荒馬を乗りこなす牧童たちと、柵のそばでそれを見ている者たちとのあいだは、32ショット目で荒馬を乗りこなして帰って来た恋敵の色男ヴェスター・ペグが『正常な同一画面』に収められるまで内側からの切り返しによって分断されている。おそらく別々に撮られている。

⑤結婚披露パーティの夜、新婦のハリー・ケリーと戸口に刺さっている娘からの白い置き手紙を読むことになる父親とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた22ショットがすべて内側から切り返されている。ハリー・ケリーの大きなクローズアップに何度も切り返されるこの分断は恋人たちの破綻のサスペンスを盛り上げている。

⑥ホテルの暗い部屋で謎の女(ガートルード・アスター)と、彼女を色男から紹介されたモリー・マローンとのあいだは、17ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。暗い部屋の中でランプシェードの傘の不気味な影が顔に落ちた女と、キャメラを正面から見据えて怯えるモリー・マローンとの切り返しによる分断はホラー映画にも似た分断の恐怖を露呈させている。

⑦カフェでヴェスター・ペグが酔って正体を現すシーンで彼を見ている者たちとのあいだは、26ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。実はこの前のシーンからずっと分断されている。

■評 分断が意識的になされている。④などは別々の時間に撮られたショットをあとから編集したように見えるが、内側からの切り返しによる分断とはそうして醸し出される奇妙さを先天的に内包している。

 
1918 鬼火ロウドン
BLUE BLAZES RAWDEN
ウィリアム・S・ハート 8 なし  
1923 巴里の女性
A WOMAN OF PARIS
チャップリン 10ショット

窓の外を見ているエドナ・パーヴィアンスがキャメラを正面から見据えているフルショットから映画が始まる。
6箇所

①パリの最初のシークエンスのレストランでテーブルに座ったエドナ・パーヴィアンス、アドルフ・マンジューと、離れたテーブルのお金持ちの女たちとは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。マンジューは正面から、女たちは斜めから切り返されている。さらに料理が出て来てからもう4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

②エドナ・パーヴィアンスが昔の恋人カール・ミラーのアトリエの戸口で再会するとき2人のあいだは、3ショット内側から切り返されそのあと『正常な同一画面』に収められている。ウエスト・ショットで正面やや斜めから撮られた3ショットは、ドアが開いて光がエドナの体を照らした瞬間エドナの表情が変化することで2ショット分のモーションを携えている。これはDW・グリフィス「エルダーブッシュ峡谷の戦い」(1913)で検討したところの、ロベール・ブレッソンが「反射」と呼んだ現象であり、相手を見ずとも光と表情の変化そのものが相手の存在価値を知らしめている映画的なショットであり、これは内側から切り返されているからこそ可能な映画的な方法である。

③二階の窓から外を見ているアドルフ・マンジューと、窓の外の子供連れの母親とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

④その後、投げたネックレスを浮浪者が持っていくのを二階の窓から見ているエドナ・パーヴィアンスと浮浪者とのあいだは、8ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤レストランでアドルフ・マンジューと相席のマルヴィナ・ポロと、離れたテーブルのベティ・モリセイとのあいだは、9ショット内側から切り返されそのまま終わっている。マンジューと女は正面から、もう一人は正面やや斜めから切り返されている。

⑥二階の窓から外を見ているメイドと、窓の下の画家カール・ミラーとのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 ③④⑥はグリフィスの短編「THE DRUNKERS REFORMATION(酔っぱらいの改心)(1909)、「LONEDELE OPERATOR(女の叫び)(1911)等で検討した内側からの切り返しの延長線上にある。もともとは技術上、予算上、などの理由で結果として内側から切り返されたであろうことが10年以上経ってもそのまま受け継がれている。
 
1924 グリード
GREED
エリッヒ・フォン・シュトロハイム 50ショット。多くはやや遠景から撮られたショットであるが、以下はクローズアップによってはっはりとキャメラを正面から見据えたショットである。

1工夫を橋から投げ落とすシーンでギブソン・ゴーランドの大きなクローズアップで。
2歯医者でテール・フラーが富くじを勧めるとき彼女のクローズアップで2ショット。
3歯科医のギブソン・ゴーランドが歯の治療でザス・ピッツにエーテルをかがせて眠らせたあとキスをしようとするときの大きなクローズアップ。
4ギブソン・ゴーランドが友人のジーン・ハーショルトにザス・ピッツへの想いを切り出したあと和解する時、ギブソン・ゴーランドのクローズアップで2ショット。
5失業し職もなく酒を飲んで帰宅したときの初めての夫婦喧嘩でギブソン・ゴーランドが拳を振りかざす前に2ショット。
6家を出たギブソン・ゴーランドが帰ってきて窓からザス・ピッツを見上げるとき。
7ギブソン・ゴーランドがザス・ピッツを殺害するシークエンスでザス・ピッツに接近する時3ショット大きなクローズアップで。
備考
「エイリアン」(1979)のように、猫がキャメラを正面から見据えるクローズアップあり。
 2箇所。

ユニヴァーサルを追い出されたシュトロハイムはサミュエル・ゴールドウィンに誘われMGMで「グリード」を撮る。金鉱を掘っていた男(ギブソン・ゴーランド)が歯医者となり、患者としてやって来た女(ザス・ピッツ)と結婚するが、女が宝くじに当選すると金の魔力にとり憑かれて狂ってゆくという物語である。
1歯医者で2人が出会う時

(ザス・ピッツ)とその男(ジーン・ハーショルト)が歯医者へやってきて、治療中の歯科医(ギブソン・ゴーランド)に挨拶したあと、この三人は41ショット目で『正常な同一画面』に収まるのだが、その間はすべて内側からの切り返しで分断されている。ただここまでは家政婦のデール・フラーから富くじを買ったりするシーンが含まれていてさほど奇形的な分断というわけでもない。だがこの後、ジーン・ハーショルトから紹介された女と歯科医との間でキャメラは切り返されるのだが、13ショット目で三人が同一画面に収まるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。さらに4ショット目には握手をする二人の「手だけ」がクローズアップで撮られていて(『奇妙な同一画面』)、ここにはキャメラを正面から見据えるショットもなくイマジナリーラインも合っているもののすべてクローズアップによって切り返されたこの空間には「手だけ」の『奇妙な同一画面』と相まって男と女の2人だけの空間を分断によって実現する性向を見出すことができる。

2新婚初夜のシーン

部屋に入って来た妻ザス・ピッツと手前の椅子に座っている夫ギブソン・ゴーランドが縦の構図で同一画面に収まっている。そこから妻と、椅子に座っている夫の後ろ姿とが何度か切り返され、ベッドや鳥籠のショットが挿入されたあと妻は部屋から逃げ出してしまう。その間の10ショットはすべて内側から切り返され、最後は部屋を出て行く妻の「体半分」と手前の夫とが同一画面に収まるという極めて『奇妙な同一画面』で終わっている。さらに部屋に戻って来た妻と夫とはずっと内側からの切り返しによって分断され13ショット目で夫が後ろ姿から画面の中に入ってきて『正常な同一画面』に収まるまで分断され続けており、その前のシーンと加算すると23ショットものあいだ2人は内側からの切り返しと『奇妙な同一画面』によって分断され続けている。恐怖に怯えるザス・ピッツの周囲は真っ暗に縁どられ、そこへ夫がグロテスクなクローズアップで襲い掛かるこのシーンはホラー映画さながらの新婚初夜が強度の分断の性向によって実現されている。

 
1929
THE RIVER
フランク・ボーゼージ
Frank Borzage
ちらちら。スチール写真にはキャメラを正面から見据えているクローズアップが撮られている。 7箇所。現存するフィルムは50分程度。

①岩肌に座っている女(メアリー・ダンカン)とカラス、斜面にそびえ立つ小屋、渦巻きに吸い込まれる樽とのあいだは、9ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ずれている。別々に撮られている。その直後、泳いでいるチャールズ・ファレルと『正常な同一画面』に収められる。

②その直後、女と男(チャールズ・ファレル)とのあいだは、6ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

③さらにその直後再び2人のあいだは分断され、11ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

④夜汽車に乗るために斜面の階段を上ってゆく男と戸口で彼を見送る女とのあいだは、7ショット内側から切り返されそのまま終わっている。遠近法もずれている。

⑤雪の中を歩いて来る男と彼を窓から見ている女とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

⑥雪の中木を切り倒している男とそれを窓から見ている女とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。女を窓の外から切り返して撮っている。

⑦外を走っている聴覚障害の友人と彼を窓から見ている女とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。
 
1931 アメリカの悲劇
AN AMERICAN TRAGEDY
ジョセフ・フォン・スタンバーグ ちらちら。 4箇所
①フィリップス・ホームズと喧嘩した後、工場でシルヴィア・シドニーが手紙を渡すシーンにおける2人のあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められた後、7ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
②一度目のボートでは『正常な同一画面』に挟まれた
12ショットが内側から切り返されている。③その後陸へ上がって写真を撮る時、10ショット目に『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。サンドイッチを食べているシドニー。
④二度目のボートの時、『正常な同一画面』に挟まれた
11ショット内側から切り返されている。斜めからのやや「同じ写真」的。
■評 裁判が始まると一気に映画は失速する。
 
1932 紅塵
RED DUST
ヴィクター・フレミング なし 内側からの切り返し自体少ない。

①クラーク・ゲーブルと初めてキスをしたジーン・ハーローが脚を投げ出して座っている部屋へメアリー・アスターが入って来た時の2人のあいだは、最初同一画面に収められるがメアリー・アスターが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)12ショット目で『正常な同一画面』に収まるまで内側から切り返されている。しかしすべて「同じ写真」で内側からの切り返しを出るものではない。
 
1933 バワリイ
THE BOWERY
ラオール・ウォルシュ 11ショット。
2人組からブルックリンで店を出せると誘われたジョージ・ラフトがキャメラを正面から見据えて「ブルックリンか」とつぶやくバスト・ショット●ジョージ・ラフトがブルックリン橋から飛び降りるとの噂を聞いた街の者たちが次から次へとクローズアップで感想を語るシーンでは多くの者が大きなクローズアップでキャメラを正面から見据えている。
0~1箇所。

フェルナンド・レイを初めて家に泊めた翌朝、キッチンにいる彼女とそこへ入って来たパジャマ姿のウォーレス・ビアリーのあいだは、6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 「同じ写真」の切り返しで分断としては弱い。
 
1934 或る夜の出来事
IT HAPPENED ONE NIGHT
 フランク・キャプラ 5ショット。基本的にはなし。
最初の休憩所でクローデット・コルベールがバスに寄りかかっている時、遠景でそれとなく。車を運転しているアラン・ヘイルとクラーク・ゲーブルがちらちらと。それだけ。
なし。

内側から何度も切り返されたのは①だけ。基本的にほとんどのショットでゲーブルとコルベールは同一画面に収められている。
①コルベールの父親ウォルター・コノリーから経費をもらった後、部屋から出て来たゲーブルがコルベールと対峙するシーンで2人のあいだは6ショット内側から切り返されてから『正常な同一画面』に収められている。しかしどれも「同じ写真」で分断としては弱い。


2024.7.2再見後
キャメラを正面から見据えながらのドギツイ内側からの切り返しは撮られていないし長きにわたる『分断』も撮られていないが、多くの内側からの切り返しが別々に撮られている。
194-38
『古典的デクパージュ的人物配置』からの外側からの切り返しも撮られているが内側から切り返された多くのショットが別々に撮られているこの作品は物語映画であり「インスタント」な撮られ方をしているわけではない。
1939 駅馬車STAGECOACH ジョン・フォード 5ショット。映画が始まってすぐ、通信室の中にいるインディアンのクローズアップがキャメラを正面から見据えている。はっはりと見ているのはこのショットだけで、あとはちらちらと遠景や斜めから見ているように見えるショットのみ。最初のインディアンのクローズアップにしてもドギツイショットではない。 6箇所。「同じ写真」による切り返しは存在しない。『奇妙な同一画面』を奇形的に絡めたものはない。グリフィス的。「同じ写真」を切り返したものは基本的に存在しない。

①カードゲームをしながらふと窓の外を見たギャンブラー(ジョン・キャラダイン)と駅馬車の窓から顔を出した淑女(ルイーズ・プラット)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■評 『正常な同一画面』を撮らずに近景から切り返されそのまま終わることで両者の場所的関係性の物語が無化され2人だけのプライベートな空間を創り出している。ここでは二つの『窓空間』が交差している。

②保安官(ジョージ・バンクロフト)が駅馬車のドアを開け、乗客たちに行くかどうかの確認を取る時の保安官と乗客たちのあいだは、10ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。11ショット目は『正常な同一画面』のようにも見えるが馬車の中の2人しか保安官と同一画面に収められていない。

③ガンマン(ジョン・ウェイン)が走って来る駅馬車を止めた時、駅馬車の御者席の保安官と(アンディ・ディバイン)の2人とガンマンとのあいだは、6ショット目で『正常な同一画面』におさめられるまですべて内側から切り返されている。■評 ガンマンはキャメラの左方向を、御者席の保安官と御者もまたキャメラの左方向を見ていてイマジナリーラインが完全に破壊された中でのこの切り返しは、キャメラを正面から見据えるショットこそ不在だが、ジョン・ウェインの出のショットとして劇的な分断を露呈させている。

④最初の休憩地点を出発した駅馬車の窓から顔を出した淑女と、馬に乗りながら振り向いた騎兵隊員(ティム・ホルト)とのあいだは、4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。■評 物語の進行上何の変哲もない無意味なこのシーンは、ロケーション撮影で帽子を振って見せる騎兵隊員と、スタジオ撮影において見事に揺れている馬車の窓からハンカチを振ってみせる淑女とのあいだには、画調のずれのみならず、内側からの切り返しによる分断そのものが露呈している。

⑤ヒッチコック論文で検討したジョン・ウェインの8秒ショット。駅馬車のドアを開けたガンマンと中の瀕死のギャンブラー、彼を取り巻く淑女と医者の3人とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑥決闘のシーンは最初のショットで手前のガンマンと奥のトム・タイラー等3兄弟とが同一画面に収められているがロングショットで4人とも「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後は3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。。■評 僅か3ショットの切り返しだが、次第に接近しながら内側から切り返し、最後は歩いて来て突如伏せて発砲するジョン・ウェインを正面から撮り、それも殆どキャメラを正面から見据えているジョン・ウェインのショットでこのシーンは終わっていて、さらに切り返して結末を見せることはない。物語的には切り返して見せるべきショットを撮らずにそのまま終わらせてしまう傾向には、レフ・クレショフ「ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険」(1924)ルビッチ「極楽特急(1932)に通じる『切り返し無き内側だけ』を撮ってしまう極めて強い『分断』の傾向を見出すことができる。

■評 『正常な同一画面』に挟まれた分断シーンは1つもない。『正常な同一画面』の入る分断シーンは③のみであり、それ以外はすべて内側からの切り返しによって分断されそのまま終わっている。

■馬車の中の人物関係。この作品では馬車の中が撮られたシークエンスが12箇所ほどあり、客席に3人と3人が向かい合いの席に座り、さらに1人が床の上に横向きに座って最大7人が乗り込んでいるが馬車の中ではすべて内側からの切り返しで分断され続け『正常な同一画面』が1ショットも存在していない。3人と3人、1人と1人、というように乗客の部分が同一画面に収められることはあっても、7人を同時に捉えたショットは1ショットも撮られていない。最初のシーンでは主に銀行家(バートン・チャーチル)と医者(トーマス・ミッチェル)の会話に重きが置かれているので関係のないギャンブラー(ジョン・キャラダイン)のショットは1ショットも撮られておらず、ガンマン(ジョン・ウェイン)が乗り込んできたあとの直後の馬車ではガンマンと他の客は1ショットも同一画面に収められておらず、娼婦(ルイーズ・プラット)と淑女(クレア・トレヴァー)が水筒の水を飲むシーンでは関係のない医者とセールスマン(ドナルド・ミーク)は後者が一瞬画面の中に入って来ただけであとは除外され続けている。その時その時のサスペンスによってフレームの中に収められる人物が限定されている。ギャンブラーが撃たれて死ぬシーンについてはヒッチコック論文の「8秒ショット」として検討したが(ジョン・ウェインが8秒間じっと見つめ続けている)、馬車のドアを開けたガンマンから切り返された馬車の中にはギャンブラーと医者、そして淑女の3人しか撮られておらず、なおかつそのショットは正面から撮られている。その正面には銀行家と矢を撃たれて瀕死のセールスマン、そして娼婦の三人が座っているはずだが、彼らの主観ショットとして撮られているわけではなく、この瞬間この3人は消えてなくなってしまっている。一人の人間が息を引き取るか否かという重要な場面において「関係のない」彼らなど存在しないかのような実に大胆な『分断』空間が撮られている。
 359-12『古典的デクパージュ的外側からの切り返し』が反復されたのは二回だけでありこの作品に古典的デクパージュ的『インスタント』の傾向を見出すことはできない。
  ヒズ・ガール・フライデー
HIS GIRL FRIDAY
ハワード・ホークス 3ショット。すべてほんの一瞬ちらりと見ているだけ。

①レストランの食事のシークエンスが終わって記者たちの集まっている部屋で電話に出ているロスコー・カーンズがロングショットでちらりと。②ロザリンド・ラッセルが原稿を破りケーリー・グラントとの電話を叩き切ってから帽子をかぶる瞬間にチラリと遠景で一瞬。③終盤、記者室に保安官のジーン・ロックハートが入って来てロザリンド・ラッセルを問い詰める時にちらりと。
7箇所。

①模擬処刑をしている刑務官とそれを二階の窓から見ているロザリンド・ラッセル+ロスコー・カーンズとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

②保険の健康診断が終わって上着を着たケーリー・グラントと部屋へ入って来た記者仲間のフランク・オースとのあいだは、11ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

③処刑台の準備をしている刑務官とそれを二階の窓から見ている女ヘレン・マックとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

④マシンガンを撃っている警官たちとそれを二階の窓から見ている記者たちのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤電話をしているロザリンド・ラッセルと脱獄して窓から入って来たジョン・クゥオーレンとのあいだは、2ショット目で手前のラッセルと奥のクゥオーレンが同一画面に収められているがラッセルは後ろ姿で「その人」と特定できず7ショット目で『正常な同一画面』に収まるまで内側から切り返されている。

⑥窓から飛び降りた女とそれを二階の窓から見ている記者たちとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑦終盤、記者室に入って来た保安官(ジーン・ロックハート)とケーリー・グラントとのあいだは、8ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。
89-66
■明るい照明で外側から切り返されることで「同じ写真」に接近している。
1941 市民ケーンCITIZEN KANE オーソン・ウェルズ  9ショット。はっきり見ているのは以下の5ショット

●序盤、後見人のジョージ・クールリスが立て続けに3ショット、クローズアップやバスト・ショットでキャメラを正面から見据えている。
●ドロシー・カミンゴアが自殺未遂をする直前のオペラのシーンでオーソン・ウェルズがオーヴァー・ラップでキャメラを正面から見据えているクローズアップ。
●ピクニックのテントの中で妻と言い争いをして立ち上がったウェルズのクローズアップがキャメラを正面から見据えている。
8箇所。

①最初の妻、ルース・ウォリックとの結婚生活が次第に冷え切ってゆく様子を時の経過とともに捉えた朝食のテーブルで、向かい合って座っているオーソン・ウェルズと妻とのあいだは、最初に『正常な同一画面』に収められた後、26ショット目にキャメラが引かれて同一画面に収まるまですべて内側から切り返されている。すべてのショットが同じ角度から同じサイズで切り返されてゆくこのシーンは、時の経過とともに服装もメイクも表情も変化してゆく夫婦を撮ることで「同じ写真」を拒絶しながら夫婦間の次第に離れてゆく距離を内側からの切り返しによって分断している。ここまで切り返しの非常に少なかった映画がこれ以降、切り返しを加速させてゆくことになる。

②歯痛のドロシー・カミンゴアと出会ったあと彼女の部屋に入り一度閉めたドアを開けたあとのウェルズとカミンゴアとのあいだは、最初『正常な同一画面』に収められた後、化粧台の鏡の中に映し出された彼女とウェルズとのあいだをキャメラは5回内側から切り返されそのまま終わっている。ウェルズと向き合って座っているカミンゴアがウェルズと切り返されるのではなく、ウェルズの背後にある鏡の中の彼女とウェルズが切り返されるという極めていびつで「ずれ」た切り返しによって2人は分断されている。こういう切り返しはこれまで一度も見たことはない。

③その直後、母親の遺品を見に行く途中だった、と話すウェルズとカミンゴアのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた6ショットがすべて内側から切り返され、さらにその後、2人のあいだは5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。『正常な同一画面』に挟まれてすべてやや斜めからのクローズアップで切り返されたこのシーンは、笑っていたカミンゴアの右頬に落ちた影と微妙に静まってゆく彼女の表情の変化によって2人の運命を決する切り返しが「同じ写真」を拒絶しながら撮られている。

④壇上で選挙演説をしているウェルズと聴衆席(妻と息子など)とのあいだは、13ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤泥酔してタイプライターに顔を埋めているジョセフ・コットンと彼の前に立っているオーソン・ウェルズとのあいだは、24681012ショット目でウェルズと手前のコットンの「背中だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)7ショット目ではコットンとウェルズの「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、それ以外はすべて内側から切り返されそのまま終わっている。タイプライターに顔を埋めているコットンを正面から撮ったショットにしてもかろうじて「その人」と特定できるに過ぎないこのシーンは、すべてが「奇妙な」ショットの切り返しによって分断されている。

⑥新聞の批評を見て怒鳴り散らしているカミンゴアとパイプを吹かしたウェルズとのあいだは、3ショット目で同一画面に収められているがウェルズは後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)7ショット目で『正常な同一画面』に収められているものの12ショット目ではカミンゴアとウェルズの「首から下だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)21ショット目でもカミンゴアとウェルズの「鼻から下だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)25ショット目にはカミンゴアとウェルズの「影だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)26ショット目ではカミンゴアとウェルズの「影と下半身だけ」が同一画面に収められそのまま終わっている。26ショットの中で1ショットの『正常な同一画面』が撮られた以外の25ショットは『奇妙な同一画面』と内側からの切り返しによって分断されているこのシーンには極めて強い分断の性向を見ることができる(ただしスタンダードサイズで撮られたこの作品がビデオ化される時に上がちょん切れた可能性もあるので「首から下だけ」「鼻から下だけ」の断定は控えたい)

⑦自殺未遂をしてベッドに横たえているカミンゴアと彼女を見守るウェルズとのあいだは、最初と3ショット目で同一画面に収められているがウェルズは後ろ姿で「その人」と特定できず、2ショット目でもまた2人は同一画面に収められているが手前のカミンゴアが向こうを向いていて「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、この3ショットでそのまま終わっている。僅か3ショットの切り返しだが、もはやこの3ショットの『奇妙な同一画面』が偶然そのように撮られたと判断することはできない。

⑧ピクニックのテントの中で言い争いをしているカミンゴアとウェルズとのあいだは、最初のショットで同一画面に収められているが手前のカミンゴアが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、それ以外の8ショットはすべて内側から切り返されそのまま終わっている。さらにバンドの演奏を挟んで続けられる2人のいさかいは、前のシーンから続けて数えて1012141618ショット目に2人が同一画面に収められているが、カミンゴアが「後頭部だけ」で「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)15ショット目にはカミンゴアと彼女を平手打ちするウェルズの「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、全19ショットが内側からの切り返しと『奇妙な同一画面』のみで終わっている。8ショット目でウェルズがキャメラを正面から見据えるクローズアップの入る一連のシーンにおける『奇妙な同一画面』を偶然撮られたと判断することは不可能である



「市民ケケーン」イコール長回し、という連想を破壊させるに足る多くの分断がここに撮られている。偶然そのように撮られたのだと感じていた『奇妙な同一画面』がここまで徹底されているのを見た時、もはやそれらは偶然撮られたものではないと確信することができる。
 
1942 パームビーチ・ストーリー
THE PALM BEACH STORY
プレストン・スタージェス 4ショット。どれもちらりと遠景から一瞬見ているだけ。正面からキャメラを見据えるショットはなし。 なし。  
  カサブランカCASABLANCA マイケル・カーティス なし。 4箇所。すべて『窓空間』。
①ドイツ軍の喧伝とそれを二階の窓から見ている2(ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマン)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』、別々に撮られている。
②買い物をしている女とそれを窓から見ているボギーとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。別々に撮られている。
③路地を歩く夫(ポール・ヘンリード)とそれを二階の窓から見ている女とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。別々に撮られている。
④ジープで捜索しているドイツ兵とそれを窓から見ている2(レジスタンスとカジノの従業員S..サカル)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。別々に撮られている。
■評 『窓空間』以外に『分断』の傾向はない。外側からの切り返しが146ショット撮られているこの作品は外側からの切り返しに即した人物配置に終始した古典的デクパージュに接近している。
 

267-146 ■古典的デクパージュに接近している。

1944 深夜の告白DOUBLE INDEMNITY ビリー・ワイルダー 3ショット。
マクマレイが車の運転で2回。車の中の殺人の瞬間、スタンウィックが次第にキャメラの中心を見つめてゆくが完全ではない。
3箇所
スタンウィックの家で二階からバスタオルを羽織った姿で出て来たスタンウィックとマクマレイとの出会いのシーンで2人のあいだは、最初のショットで同一画面に収められているもののマクマレイは後ろ姿で「その人」と特定できず、その後の6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。この時点で2人は未だ同一画面に収められはいない。さらにこの2人のあいだについて見てみると、その後、階下でスタンウィックを下から見上げたマクマレイから階段を降りてくるスタンウィックの脚へと切り返されそのまま鏡の前まで歩いてきて化粧をし始めるスタンウィックはその鏡の中で初めてマクマレイと同一画面に収められている。2人の出会いのサスペンスとしての分断の性向をここに見出すことができる。
②マクマレイのオフィスでジーン・ヘザーがスタンウィックの過去について暴露するシーンでマクマレイとヘザーのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた8つのショットすべて内側から切り返されている。ただどれもが基本的に「同じ写真」であり分断の奇形性は希薄である。
③終盤、スタンウィックの家の暗い部屋でスタンウィックとマクマレイと向き合ったシーンの2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた8ショットがすべて内側から切り返されている。じかしこれもまた会話を主導に「同じ写真」が斜めから切り返されたもので分断の奇形性を見出すことはできない。
■評価
そもそもマクマレイが列車の展望室で出会った男ポーター・ホールとエドワード・G・ロビンソンのオフィスで同席するシーンは最高のサスペンスでありながら終始2人は『正常な同一画面』に収められているのであり、多くの内側からの切り返しも基本的に会話を主導とした「同じ写真」によってなされているこの作品には、最初のスタンウィックとマクマレイとの出会いのシーン以外は、サスペンスを分断によって生成させる意志は希薄である。
 
1944 ローラ殺人事件
LAURA
オットー・プレミンジャー 4ショット。 レストランのピアニストがちらちらと。23分にクリフトン・ウェッブがちらりと見る。
ジーン・ティアニーが初めてダナ・アンドリュースと出会った時『帰らないと警察を呼ぶわ』と言ったティアニーがキャメラを正面から見据えるクローズアップ。
なし。  
1948 ボディ・アンド・ソウル
BODY AND SOUL
ロバート・ロッセン 36ショット。キャメラを正面から見据える傾向が強い。多くはちらちらだが、ボクシングの試合中、主観ショットの体裁で多く撮られている。それ以外にもはっきりとしたショットが撮られている。
①リリー・パルマーにボス(ロイド・ガフ)と手を切らない限り結婚しないと言われた後、ジョン・ガーフィールドのキャメラを正面から見据えるクローズアップが8秒ほど続いている。これだけ続くのは珍しい、
12ラウンドの前にセコンドのウィリアム・コンラッドがキャメラを正面から見据えるクローズアップ。
13ラウンドの後、コーナーに座ったガーフィールドがキャメラを正面から見据える目のクローズアップが2ショット。
1箇所。内側からの切り返し自体が少ない。

●アパートの前の階段に座り、リリー・パルマーがポスと手を切らない限り結婚しないとジョン・ガーフィールドに言うシーンで2人のあいだは、『正常な同一画面』に収められて以降、ずっとクローズアップで内側から切り返され14ショット目で立ちあかったリリー・パルマーの一瞬の後ろ姿とガーフィールドが同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、さらに次のショットでは手前のガーフィールドと奥のリリー・パルマーの「下半身だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)そのまま終わっている。会話を軸とした「同じ写真」で多くを切り返されているものの、切り返し自体が少ないこの作品において突如内側からの切り返しが13ショットも開始され『奇妙な同一画面』と共にそのまま終わってしまうこのシーンには分断の性向を見ることができる。
 
  忘れじの面影Letter From An Unknown Woman マックス・オフュルス 12ショット。序盤、階段の途中で恋人と別れの挨拶をした後の母親(マディ・クリスチャン)が、二階から姿を現した娘(フォンテイン)に驚いて顔を上げた時と、その次の2ショット。遠景でかつ見ているか否かの微妙な視線であり、この作品にはキャメラを正面から見据える傾向は基本的に存在していない。 4箇所。

①フォンテインの結婚後、劇場の階段のルイ・ジュールダンを見た時、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②その後、劇場のボックス席にフォンテインが座ったあとの、ほかのボックス席に座っているジュールダンとのあいだは、最初ショットで劇が始まるがフォンテインは他の者たちとはちがう方向を見つめ始める。次のショットでは後ろ姿のジュールダンが身を乗り出しこれまた他の者たちとはまったく違う視線を右の方向へ送っている。その視線を感じたのか次のショットでフォンテインは動揺気味に視線をさまよわせていると次のショットで彼女を見つめているのか、ジュールダンの大きなクローズアップへと切り返されると、フォンテインは席を立ちボックス席を後にする、撮られたのは5ショット、すべて内側から切り返されそのまま終わっている。

③ジュールダンのアパートでキスをしたあと2人のあいだは、8ショット目で同一画面に収められているがフォンテインがロングショットで「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)10ショット目でフォンテインが部屋を出て行くまですべて内側から切り返されそのまま終わっている。

④決闘へ向かうためにアパートから出て来たジュールダンが振り向いた時のフォンテインとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。


■評 ①以前での切り返しは遊園地の世界旅行の列車の中で『正常な同一画面』に挟まれた7ショットが内側から切り返されくらいで、分断の性向が現れてくるのはフォンテインがほかの男と結婚しジュールダンとのあいだの息子が9歳になった頃、劇場でフォンテインが一方的にジュールダンを確認した①以降である。②は2人の位置関係がまったく撮られておらず(空間的不明確性)、ジュールダンがフォンテインを見つめるクローズアップにしても視線の関係が無化されていて(イマジナリーラインの破壊)、そのまま終わってしまうこのシーンは極めて強い分断の性向に包まれている。さらに③は2人の最後のシーンだが、そこで撮られた唯一の『奇妙な同一画面』は、その奇妙さゆえに分断性を際立たせ、すべてクローズアップで切り返されるフォンテインの顔と声が、明るく話し続ける遠景のジュールダンの声質から分断され、『正常な同一画面』不在でそのまま終わってしまうこのシーンもまた①→②と続く分断性を加速させている。④こうして迎えた2人のあいだの最後の僅か3ショットの切り返しがすべて内側から切り返されそのまま終わっている。一夜を共にした女すら忘れてしまうプレイボーイが初めて命を懸けたのはすでにこの世にはいない見知らぬ女だった。
 
1952 その女を殺せTHE NARROW MARGIN) リチャード・フライシャー なし。 1箇所

①駅で殺し屋のデヴィッド・クラークが刑事のチャールズ・マッグロウを尾行するシーンでの2人のあいだは、最初のショットで刑事の姿が画面に収められ彼が画面の左へ消えたあとその空間に今度は殺し屋が右から入って来て『持続による同一存在の錯覚』、さらに持続した時間において殺し屋が左へ歩いてゆくと切符売り場に並んだ刑事とすれ違うのだが、この瞬間画面の中に同時に存在したのは刑事と殺し屋の「右半身だけ」であり(『奇妙な同一画面』)
、ここに持続した1ショットの時間空間の中で『持続による同一存在の錯覚』と『奇妙な同一画面』の2つが撮られている。その直後、列の後ろに並んだ殺し屋と手前の刑事とが『正常な同一画面』に収められ、ここから11ショットのあいだ内側からの切り返しによって2人は分断された後、12ショット目に方向転換した刑事が殺し屋とすれ違うのだがそれは一瞬の出来事で肉眼では「この二人」が同一画面に存在したと確認することは不可能である(『奇妙な同一画面』)。さらにそこから9ショット目で刑事が荷物車の陰に隠れて殺し屋を巻いてしまうまですべて内側からの切り返しによって分断されている。尾行とは距離を置いてかつ隠れてするものだがこの殺し屋の場合、刑事が常にその存在を確認しているように近距離でかつ自らの存在を殊更隠してはいないことから2人のあいだは『正常な同一画面』に収まる可能性があったにもかかわらず、全23ショットのうち『正常な同一画面』は1ショットしか存在せずさらに『奇妙な同一画面』が多発するこのシークエンスには強い『分断の性向』を見出すことができる。
 
1953 裸の拍車
THE NAKED SPUR
アンソニー・マン なし なし 

ロバート・ライアンに賞金が出ていることを一同が知った時のジェームズ・スチュワートと他の者とのあいだは『正常な同一画面』に挟まれた10ショット内側から切り返されている。しかし切り返しが会話を軸としてなされている「同じ写真」に近いショットで奇形性はなし。

洞窟で雨宿りしている時にスチュワートとジャネット・リーがお互いの夢を語り始めるシーンで2人のあいだは『正常な同一画面』に挟まれて12ショット内側から切り返されている。しかし会話が主導する「同じ写真」の切り返しは古典的デクパージュそのものでありここに『分断の性向』を見出すことはできない。
 
1954 大砂塵
JOHNNY GUITAR
ニコラス・レイ 11ショット。

どれも微妙なものばかりで、クローズアップでキャメラを正面から見据えるようなショットは撮られていない。
8箇所

二階からジョン・クロフォードが出て来たとき階下のスターリング・ヘイドンとのあいだは、4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。以前、恋人同士であったはずの2人の出会い(再会)のシーンはロングショットを軸にさり気なく撮られそのまま終わっている。

死体を担ぎこんできた一味(マーセデス・マッケンブリッジ等)とジョン・クロフォードとのあいだは、18ショット目で同一画面に収められているが一味が後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)65ショット目でクロフォードがマーセデス・マッケンブリッジと『正常な同一画面』に収められるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。

カウンターにローヤル・ダーノが回したグラスをヘイドンがキャッチした後の彼とクロフォードとのあいだは、4ショット目で『正常な同一画面』に収められているがロングショットのクロフォードは「その人」と特定できるのは一瞬であり「正常な」とは形容しがたい収まり方をしている。いやしくも主役の2人の撮り方においてこのような「雑なショット」が無神経さにおいて撮られるわけがなく意図的にそう撮られている。そこから2ショット目にはクロフォードとヘイドンの「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)17ショット目には手前のクロフォードと奥のヘイドンの「首から下だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)18ショット目にはヘイドンとヘイドンにギターを渡すクロフォードの後ろ姿が同一画面に収められている。これは後ろ向きのままギターを渡すという極めて『奇妙な同一画面』であり、20ショット目にはクロフォードとヘイドンの「右肩だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)21ショット目にはヘイドンとクロフォードの後ろ姿が収められ(『奇妙な同一画面』)、次の22ショット目で初めてこの映画でジョン・クロフォードとギターを弾いているスターリング・ヘイドンが『正常な同一画面』に収まっている。

マーセデス・マッケンブリッジ一味が帰ったあと、1人だけ残った黄色いシャツの少年(ベン・クーパー)とクロフォードとのあいだは、最初『正常な同一画面』に収められた後、15ショット目で再び『正常な同一画面』に収まるまで内側からの切り返しによって分断されている。

■評 この2人のあいだでショットを分断させる意味は果たしてあるのか。黄色いシャツの少年がいきなり発砲するという流れもちょっと「おかしい」。これはマクガフィンではないのか。もう少し時間を巻き戻して、ヘイドンが弾いていたギターを中断したあと、クロフォードとヘイドンのあいだについて見てみよう。ここでは「内側からの切り返しによる分断」をさらに広げて、何ショット続けてふたりは同一画面に収まっていないかを見ていく。そうするとこのあとアーネスト・ボーグナインとのカウンターでのやりとりから酒場の外へ出て決闘、酒場の中ではクロフォードとスコット・ブラディの対話、決闘が終わって酒場に戻って来た一同が酒場から出て行く、そして残った黄色いシャツの少年との前述の内側からの切り返しによる分断がここで始まる。少年が発砲したあと、少年とクロフォードが二度目の『正常な同一画面』に収められる。これがさきほど検討したところであり、ギターの中断から62ショット目の出来事である。さらにそこからヘイドンが少年の銃を吹き飛ばし、6ショット目にヘイドンとクロフォードが『正常な同一画面』に収められている。ギターを中断してからクロフォードとヘイドンが『正常な同一画面』に収まるまで68ショットを要している。さて、ここでいったい何があったのかを見直してみよう。これ以前、クロフォードとヘイドンとは「初対面」であるはずが、ヘイドンのギターを聞いたクロフォードは何かを思い出したかのように辛そうな顔をしている。そこからこの内側からの切り返しによる分断(範囲を広げて)が開始されるのだが、ボーグナインとの決闘と黄色いシャツの少年の発砲は、その後クロフォードがヘイドンをして「ガンクレージーは治ってないわね、」と言わしめたように、ヘイドンのガンマン(あるいは人間)としての「常習性」を呼び覚ますために撮られたのであり、黄色いシャツの少年が突如、テーブルの上の瓶や茶碗を早撃ちで撃ちぬいたのは、あるいはクロフォードが少年を「子供」と言って怒らせたのは、銃声を聞いたヘイドンの反射的行動=「ガンマンとしての常習性」を呼び覚ますためのマクガフィンであり、それによってクロフォードをして「ガンクレージーは治ってないわね、」と言わしめることで、クロフォードとヘイドンとの昔からの関係をここで初めて露わにしたのである。従って少年とクロフォードとの内側からの切り返しによる分断もまたマクガフィンとしての「前菜」的意味合いを超えるものではない。この映画における「分断」とはクロフォードとヘイドン、あるいはクロフォードとマッケンブリッジとのあいだにおいてのみ意味を持つのである。そしてクロフォードとヘイドンとのあいだは、68ショットに及ぶ『分断』の後は基本的に同一画面に収められることになる。

こうして「広げて」見ながらもう一度クロフォードとヘイドンの最初からの関係を見直してみたい。分断表①に遡って二階の奥からクロフォードが出て来てヘイドンと内側から切り返された4ショットを原点に検討すると、そこからヘイドンは酒場に入って正面に見える舞台の左手にあるキッチンに入り、クロフォードは鉄道会社の男リース・ウィリアムズとしばらく二階のテーブルを挟んで話した後、マッケンブリッジ一味がやってきて二階のクロフォードが階段を降りて来て初めてマッケンブリッジと『正常な同一画面』に収まり(分断表②)、今度はスコット・ブラディの一味が入って来る。この間ヘイドンはジョン・キャラダインの作った食事を食べているようだが別の部屋にいて一同と同一画面に収まるような場所には位置していない。その後、カウンターにローヤル・ダーノが回したグラスをヘイドンがキャッチした後、139ショット目に初めてクロフォードとヘイドンが一瞬だが『正常な同一画面』に収められている。だがこれが先に検討したような『不正常な正常な同一画面』だとすると、さらにそこから内側からの切り返しと『奇妙な同一画面』が続いた後の161ショット目で初めて2人は『正常な正常な同一画面』に収められることになる。クロフォードが二階の奥から出て来てヘイドンと切り返されるあの起点のショットから161ショット目で初めてこの映画でジョン・クロフォードとギターを弾いているヘイドンが『正常な同一画面』に収まっている。そしてギターを中断した後、68ショットに及ぶ『第二の分断』が開始され、それが終わって以降、2人は基本的に『正常な同一画面』に収められるようになる。このように1人と1人の人間をある時期まで徹底的に分離させるという傾向は、フリッツ・ラング「メトロポリス」(1926)、ヒッチコック「めまい」(1958)、カール・ドライヤー「牧師の未亡人」(1920)に極めて接近している(ドライヤーについては後日検討する)

喪服姿の一同が酒場に入って来た時のクロフォードとマッケンブリッジとのあいだは、最初のショットで2人は『正常な同一画面』に収まっているようにも見える。しかし最初こちらを向いて「その人」と特定できたマッケンブリッジが持続したショットで酒場のドアを開け奥でピアノを弾いているクロフォードと同一画面に収められた時にはマッケンブリッジは後ろ姿になっていて「その人」と特定することはできない(『持続による同一存在の錯覚』)。ここから延々と内側からの切り返しが続き、66ショット目で保安官のフランク・ファーガソンがクロフォードと『正常な同一画面』に収められているもののマッケンブリッジとのあいだは内側からの切り返しによって分断され続け、88ショット目にクロフォードが喪服の男たちに両脇を抱えられて酒場を出て行くのだが、この88ショット目では連行される手前のクロフォードの奥の画面に一瞬ぼんやりとマッケンブリッジの姿が捉えられ『奇妙な同一画面』、さらにそのまま持続したショットでクロフォードが酒場の外へ消えたあとさらに持続したショットで列に続くマッケンブリッジの後ろ姿が捉えられている(『持続による同一存在の錯覚』)。全88ショットの内、『持続による同一存在の錯覚』が1ショット、『奇妙な同一画面』と『持続による同一存在の錯覚』の合体したものが1ショット、残りの86ショットにおいてクロフォードとマッケンブリッジはすべて内側からの切り返しによって分断されている。

秘密のアジトにクロフォードとマクマレーが入って来た時、その2人とブラディ、ボーグナインの2人とのあいだは12ショットすべて内側から切り返されている。

マッケンブリッジが谷の上のアジトを目指して小川の斜面を登っていきクロフォードと対峙するシーンでの2人のあいだは、マッケンブリッジが最初の一発を撃った時点からカウントすると、23ショット目と28ショット目で2人は同一画面に収められているがロングショットなのでどちらも「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)31ショット目でも向き合った2人が同一画面に収められているがクロフォードは後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、撃たれたマッケンブリッジが斜面を転げ落ちるまでの全51ショットの内、3ショットが『奇妙な同一画面』、残りの48ショットはすべて内側からの切り返しによって分断されている。

■評 どこかに『奇妙な同一画面の撮り方』という本があってそれをニコラス・レイが密かに買って読んでいた、、そうであってもちっとも不思議でないくらいこの作品における特定の者同士の『奇妙な同一画面』は奇妙であり、なんとししででも『正常な同一画面』には収めてはならない、という強固な意志がそこに露呈している。

 
1955 キッスで殺せ
KISS ME DEADLY
ロバート・アルドリッチ 5ショット。
クローズアップでキャメラを正面から見据えているショットは①ラルフ・ミーカーが尾行してきた男を階段の上から殴り倒す瞬間。②新聞の科学担当記者(モート・マーシャル)がドアから顔を出す時、左目のクローズアップになるまでキャメラが寄っていく。③用心棒のジャック・ランバートとジャック・イーラムが浜辺でラルフ・ミーカーを殴り倒す時、2ショット、一瞬のクローズアップでキャメラを正面から見据えている。
評 
この作品ではキャメラを正面から見据えるショットは隠されており①と③のように肉眼では見ることのできない速さで撮られているか②のように片目だけが撮られている。
2箇所

①ベッドの上で失神しているラルフ・ミーカーとスエードの靴をはいた男との関係は、「靴だけ」とは言え最初のショットから2人は同一画面に収められているのであり、その次のショットも同一画面に収められていることからしてここに分断の性向は見られていない。

②修理工の男(ニック・デニス)がスエードの靴の男に殺されるシーンは9ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

③終盤、海辺の家で女ギャビー・ロジャースのいる部屋にラルフ・ミーカーが入って来た時、最初のショットで2人は『正常な同一画面』に収められているが、そこから17ショット目で再び『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返され、さらに28ショット目と30ショット目ではミーカーと女が同一画面に収められているが女は「火だるま」なので「その女」と特定できず(『奇妙な同一画面』)32ショット目でミーカーが部屋を出て行くまで『正常な同一画面』は2ショットのみであとは『奇妙な同一画面』が2ショット、残りの28ショットはすべて内側から切り返されている。


■評 この作品は多くが『正常な同一画面』によって撮られていて内側の性向は基本的に見られない。しかし最後のサスペンスにおいてはこうして分断されているのは偶然ではないだろう。
 
1956 風と共に散るWRITTEN ON THE WIND ダグラス・サーク 1ショット。ローレン・バコールが妊娠を夫ロバート・スタックに報告する晩、夕飯のテーブルに座っているバコールのバスト・ショットでキャメラを正面から見据えているようにも見える。はっきりと奇形的に見ているわけではない。この1ショットのみ。 1~3箇所。

序盤、3人でレストランのテーブルに座った時のロバート・スタック、ローレン・バコールの2人とロック・ハドソンとのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた11ショットがすべて内側から切り返されている。

ローレン・バコールが夫のロバート・スタックに妊娠を伝えるシーンにおいて2人のあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められているがその後、18ショット目で同一画面に収められるまですべて内側から切り返されている。その18ショット目ではスタックがバコールを殴る瞬間2人は同一画面に収められているが手前のバコールは後ろ姿で「その人」と特定できず、そのまま一回転して倒れこんだバコールの顔も髪で半分隠されて「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、シークエンスはこのショットで終わっている。

裁判シーンでは被告人席のロック・ハドソンと証人席の者たちとのあいだは、16ショット目で証人席から戻って来たバコールとハドソンとが同一画面に収められるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。

評 は基本的に「同じ写真」によって撮られたショットの切り返しであり、強い分断の性向によるものではない。唯一2だけが、少しずつ近景へとキャメラが寄って空間を狭めながら内側からの切り返しによってサスペンスを高揚させており、そこに分断の性向を見出すことは可能である。ただこの作品は基本的に人と人とが同一画面の中で会話を進めながら撮られているのであり、その趣旨は分断よりも同一(統合)に接近している。
 
1968 絞殺魔
THE BOSTON STRANGLER
リチャード・フライシャー 35ショット。47ショットあるがその中でニュースキャスターのキャメラ目線と、テレビ映像でキャメラを見て話しているヘンリー・フォンダのショットは12ショットあり、それらはキャメラを見て当然なので引いて35とする。ヘンリー・フォンダとの対話でトニー・カーティスの回想が始まるとそれまでは抑えられていたものが一気に噴出しはっきりとキャメラを正面から見据えるショットが増える。 3箇所。

①女(サニー・ケラーマン)をベッドに縛り付けるとき。確かにこのシーンでは内側からの切り返しが多用されているが、この場合女が全裸の設定であるので『正常な同一画面』を撮ることはできず従ってこのシーンは検討不能とする。

②医者オースティン・ウィルスが被害者の女サニー・ケラーマンの顔に掌を近づけて催眠術をかけるとき、女と医者、そして周囲で見ているヘンリー・フォンダとのあいだは258ショット目で女と医者の「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)4ショット目と7ショット目では医者と女の「後頭部の一部だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、それ以外の3ショットは内側から切り返されそのままこのシークエンス終わっている。多くの切り返しを「その人」と特定できる外側からの切り返しの多いこの作品において、ここで突然「手だけ」「後頭部だけ」という『奇妙な同一画面』が連発し強い分断の性向を示し始める。

③トニー・カーティスが医者オースティン・ウィルスと話している時2人のあいだは、キャメラは長回しで両者を主に『正常な同一画面』に捉えながら、カーティスが子供の頃神父の所に告白に行った時の話をし始めるとキャメラはトニー・カーティスの大きなクローズアップになるまで接近し、そこからしばらくしてからやっとカットされて医者のクローズアップへと切り返され、再びカーティスのクローズアップに切り返されそのままこのシークエンスは終わっている。僅か2つの切り返しに過ぎないが大きなクローズアップまで画面を狭め別次元の空間を設定しそのまま終わっているこのシーンには分断の性向を見出すことも可能であるが少し弱いか。
 
1969 夕陽に向って走れ
TELL THEM WILLIE BOY IS HERE
エイブラハム・ポロンスキー 1ショット。

52分過ぎのパーティでレッドフォードと話しながら歩いているスーザン・クラークが「I Like That」と言う時のバスト・ショットでキャメラをちらりと見ている。
6箇所

①帰って来たインディアンのロバート・ブレイクとキャサリン・ロスが再会する時の2人のあいだは、11ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。どのショットも「違う写真」として撮られている。

②大統領歓迎の予行パーティで自室に戻って来たスーザン・クラークとソファーに座っているレッドフォードとのあいだは、最初のショットでクラークと「鏡の中のレッドフォード」が同一画面に収まった後(『奇妙な同一画面』)5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

③その後、部屋に帰って来て服を脱いでゆくスーザン・クラークとレッドフォードとのあいだは、4810ショット目でレッドフォードとスーザン・クラークの「影だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)11ショット目ではクラークと彼女の横をすり抜けて去ってゆくレッドフォードの「影だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、さらに持続した画面でレッドフォードの「後頭部だけ」がクラークと同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、最後のショットではレッドフォードの後ろ姿とクラークが同一画面に収められている(『奇妙な同一画面』)11ショット目は、1ショット内における2つの『奇妙な同一画面』が撮られており、同じく1ショット内に2つの『奇妙な同一画面』を同居させて撮られたフリッツ・ラング「スピオーネ」(1928)と双璧の奇妙さによって分断の性向が露呈している。

④保安官のチャールズ・マッグロウがパーティの席で追手が襲われたとレッドフォードに伝えるときの2人のあいだは、最初のショットで2人は同一画面に収められているがマッグロウが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後の11ショットはすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤屋根の上に隠れた逃亡者ロバート・ブレイクと、馬から降りてあたりを見回すレッドフォードとのあいだは、10ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。クローズアップになるまでキャメラに接近するレッドフォードと、銃で彼に狙いを定めたまま息をひそめている逃亡者のクローズアップのあいだを内側から切り返される画面は場所的感覚を喪失させながらサスペンスの緊張を高めている。

⑥逃げたキャサリン・ロスを逃亡者が泉で見つけたあと2人のあいだは、最初のショットで同一画面に収められたあと、泉に反射する光を浴びながらキャメラは11ショット2人のクローズアップのあいだを内側から切り返されている。

■評 これら以外にも内側の性向を見出すことが出来るだろう。赤狩りで密告され映画人生の大半を棒に振ったエイブラハム・ポロンスキーがやっと撮ることのできたこの作品は、⑥の直後、逃げたければ逃げろ!、と逃亡者がキャサリン・ロスを突き飛ばし走って逃げる彼女の背中に向かって叫んだ「TELL THEM WILLIE BOY IS HERE』、がそのまま原題となっている。「奴らに言ってやれ、ウィリー・ボーイはここだ、ってな!」。それを聞いた彼女は次第に歩みを止め、振り向き、風に揺れる木々のあいだを全速力ですり抜けてウィリー・ボーイに抱きつき倒れる。遠距離からクローズアップになるまでのキャサリン・ロスを望遠レンズの1ショットで撮ったこのシーンの後、彼女はみずからの命を絶っている。泉に反射する光を浴びたクローズアップの切り返しから木々のあいだを見事なカッティング・イン・アクションで振り向き、そのまま1ショットで駆け抜けて密告者の元へ走って行った女をショットの積み重ねによってポロンスキーが撮っているのは、決して密告をしない彼女の生きている瞬間である。
 
1971 ダーティハリー
DIRTY HARRY
ドン・シーゲル 15ショット。基本的におとなしい。スタジアムでサソリ男がイーストウッドに懇願する時にイーストウッドの主観ショットの体裁でキャメラを正面から見据えている。クローズアップのはっきりは無し。 4箇所

①銀行強盗(アルバート・ポップウェル)に刑事のイーストウッドがマグナムの弾が残っているかどうか聞くシーンで刑事と強盗とのあいだは、最初のショットで倒れている強盗に接近する刑事の後ろ姿と強盗とが同一画面に収められているが(『奇妙な同一画面』)、次のショットと8ショット目と13ショット目で強盗の「左手だけ」と刑事の「左手と足だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)18ショット目には強盗とマグナムを握る刑事の「右手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)22ショット目では強盗と彼の前を通過する刑事の「背中の一部だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、それ以外は23ショット目で刑事が去っていくまですべて内側からの切り返しによって2人は分断されそのままこのシークエンスは終わっている。『奇妙な同一画面』はその性質が奇妙であればあるほど、それが反復されればされるほど、逆に『分断の性向』が露呈するのであり、このシーンにおいてドン・シーゲルに分断の意志が存在したことは間違いないと断定してよい。

②黄色い鞄を持った刑事がトンネルの中で三人組の強盗に襲われた時の刑事と3人のあいだは、最初のショットで刑事の後ろ姿と薄暗いトンネルの中でぼやけた姿の3人が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)3ショット目で強盗その1と刑事の「後ろ姿の左半身だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)4ショット目では黄色い鞄で強盗その1を殴る刑事と強盗の「後ろ姿の左半身だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)次の5ショット目では強盗その2と彼を足で蹴り上げる刑事の「足だけ」が同一画面に収められさらに持続したまま強盗その3と銃を突きつけたイーストウッドの「右手だけ」が同一画面に収められ(同一ショットにおける『奇妙な同一画面』の連続)6ショット目では外側から切り返されて刑事と強盗その3が同一画面に収められているが薄暗いトンネルの中で強盗その3を「強盗その3」とは特定できず(『奇妙な同一画面』)7ショット目ではもう一度キャメラが外側から切り返され強盗その3と銃を突きつけている刑事の「右手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、最後のショットで逃げてゆく強盗その1と刑事が『正常な同一画面』に収められるまでの9ショットのうち内側からの切り返し3ショット『奇妙な同一画面』6ショットに4人のあいだは精密に分断されている■評 一瞬のシーンだが、見終わった瞬間、何かおかしい、と感じられる)

③公園で赤い覆面のサソリ座の男に刑事が殴られるシーンで2人のあいだは、まず背後からサソリ男が殴りかかるが2人とも後ろ姿で「この人たち」と特定できず(『奇妙な同一画面』)2468ショット目では刑事と彼を蹴るさそり座の男の「足だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、さらに35911ショット目のショットではサソリ男と刑事が同一画面に収められているが手前の刑事はぼやけていて「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、しかしそれと同じ状況でも13ショット目と15ショット目ではややピントが合ってきて手前の人物を刑事「その人」と特定することができ(奇妙な『正常な同一画面』)101416ショット目では刑事と彼の髪の毛を掴んでいるサソリ男とが同一画面に収められているがサソリ男は上からの顔の一部だけで「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、ここでひとまずこのシーンは終わっている。さらにその直後、サソリ男が刑事を撃ち殺そうとするシーンでの2人のあいだは、15ショット目の延長としての奇妙な『正常な同一画面』と、刑事と彼を蹴り上げるサソリ男の「足だけ」による『奇妙な同一画面』、そしてマシンガンを構えたサソリ男へ内側から切り返されて終わっている(その間にも著しく短いショットが挿入されているようだが同じことなので割愛する)。■評 まともな『正常な同一画面』は1ショットもなくあるのは内側からの切り返しと『奇妙な同一画面』のみである。これが②と同じように極めて素早いカッティングによって撮られている。

④階段を下りて来た刑事が池へ走って行って子供を人質に取ったさそり座の男と向き合うシークエンスで2人のあいだは、5ショット目で2人は同一画面に収められているが画面にあとから入って来た刑事は後ろ姿のため「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、続いて外側から切り返された6ショット目はサソリ男が後ろ姿のため「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、さらに超スピードでつながれた13ショット目では手前の刑事が後ろ姿、奥で倒れてゆくサソリ男がロングショットでどちらも「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、さらに弾が残っているか否かのゲームをしたあと池に落下したサソリ男から刑事が視線を切りバッジへと視線を移すまでの全40ショットは3つの『奇妙な同一画面』と37の内側からの切り返しによって精密に分断され続けている。

 
1980 最前線物語
THE BIG RED ONE
サミュエル・フラー 15。多くはやや遠景から見ているだけ。はっはりと見ているのは マーク・ハミルが収容所の焼却炉を開けた時、ドイツ兵とハミルの目のクローズアップがキャメラを正面から見据えている。そのあとのショットでもハミルはずっとキャメラを正面から見据えている。 5箇所以上。分断の性向は非常に強い。

①砂漠で寝そべっている兵士と上から見下ろしている上官ジークフリート・ラウヒのあいだは、最初のショットと5ショット目で兵士と上官の「影だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)3810121416ショット目では兵士と上官の「足だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)22ショット目で撃たれて砂漠斜面を転げ落ちる兵士と上官とが同一画面に収められているがロングショットで2人とも「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、それ以外は25ショット目でこのシーンが終わるまですべて内側から切り返され『正常な同一画面』は1ショットも撮られずそのまま終わっている。

②生き残ったリー・マーヴィンと浜辺の四人の兵士たちが再会するシーンでマーヴィンと兵士たちのあいだは、最初のショットで同一画面に収められているが遠いロングショットで「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、そのあと4ショット内側から切り返されてから再び同一画面に収められているがこれもロングショットで「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、再会を喜ぶ人間たちの表情は撮られないままこのシークエンスは終わっている。

③三人の兵士たちがそれぞれ収容所施設のドアを開けた時、兵士たちと中の捕虜(ユダヤ人)たちのあいだは、8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

④さらにその後、焼却炉のドアを開けた兵士(マーク・ハミル)と中に隠れていたドイツ兵とのあいだは、4ショット目で同一画面に収められているものの兵士が後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、それ以外の6ショットはすべて内側から切り返されそのまま終わっている。2人の兵士たちがそれぞれキャメラを正面から見据えているショットの交錯するこのシーンは強い『分断の性向』に支配されている。

⑤リー・マーヴィンが抱きかかえたユダヤ人の少年をベッドの上に寝かせるシーンにおける2人のあいだは、『正常な同一画面』に収められた最初のショットで少年をベッドに寝かせたあと、2つ目のショットでは少年とマーヴィンの「腕だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)46810121618202224ショット目では少年とマーヴィンの「後ろ姿だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)7つ目のショットでは少年の「腕だけ」とマーヴィンが同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)26ショット目で出て行くマーヴィンを少年が成瀬目線で追いかけてこのシークエンスが終わるまでそれ以外のショットはすべて内側からの切り返しによって分断されている。

■評 それ以外にもこの作品は非常にランダムな内側の性向に満たされていて戦闘シーンなどは殆どすべて分断されるように撮られている。ユダヤ人の少年をベッドに寝かせるシーンのマーヴィンの「後ろ姿だけ」の『奇妙な同一画面』の場合、外側からの切り返しによって撮られているが、もう少し横から撮ればマーヴィンを「その人」と特定できる『正常な同一画面』になるにもかかわらず、頑なまでにそれを拒絶している。